69. 余計なお世話が正しいかもしれない現実

使い古されているのによく耳にする言葉 「女性の敵は女性」、 私は幸いにして若い頃から

この言葉を実感するような出来事に巻き込まれることなく過ごして来ましたが、韓流ファン

になってから急に身辺が騒がしくなり、「韓流おばさんの敵は韓流おばさん」 だと身を持って

知ることになりました。ただ敵という言葉は私の中で相容れない言葉で、私自身は相手を敵

だとは思っていないので、単に相手が好戦的かつ陰湿だとご理解ください。要は私が自身の

サイトを通じて書いた事柄が、「一部の韓流おばさん」 には癇に障る内容だったようです。

朝鮮半島のこととなるとアレルギー的な拒絶反応を示す日本人が多いことは良く理解して

おりましたし、逆に相手も反日感情が根強いことはわかっていました。

でも幸いに、そういった人達には相手にされず、又はスルーしてくださり、特に嫌な思いを

したことはこれまで1度もありませんでした。ところが世の中それほど甘くはなく予期せぬ

抵抗勢力の出現をみました。それが、「一部の韓流おばさん」 で、私が直接的、又は間接的

に耳にした内容は以下の通りです。


① 自分と同じ韓流おばさんの分際で生意気なことを言うのは許せない

② きれいごとばかり言っている

③ きっと頭がおかしいのだろう

④ 日本人が南北統一などと言うのは余計なお世話だ


世代や性別をひと括りにして、さもわかったようなことを述べるのは好きではありませんが

実は私が当初一番警戒していたのは、年配の日本人男性でした。ところが予想に反して

その方々に共感や絶賛や励ましのメール等を頂き、嬉しさと驚きを同時に感じました。

もちろん大多数の韓流おばさん・韓流お嬢さん・韓流ファンも、好意的又は興味がなければ

スルーの大人的対応をとってくださるので助かっています。


上記4項目の①~③は単なる誤解と軽く流しますが、④だけは、ひとこと申し上げます。

私自身も 「日本人が南北統一などと言うのは余計なお世話」 かも知れないと思いながら

謙虚に行動しているつもりです。でも実際に草の根交流をしてみると、立場も世代も性別も

違う数人の韓国の方から以下のような思いがけない話を聞きました。

「当事者(韓国・北朝鮮)だけでは、もうどうにもならないので、第3者が何か言って

くれることが、きっかけで世の中が動くかもしれないから、ずっと言い続けてほしい」


私はこの話を聞いた時、日本で社会問題になっている我が子を虐待する痛ましい事件の

ことを思い出しました。学校や保育所、児童保護施設、民生委員、区市町村、さまざまな

立場の人達が苦労して努力しても守れない尊い命を、もしかしたら近所の余計な世話を

焼くおばさんが救うことだって、あるかもしれないと…


妻家房 キムチ博物館
妻家房 キムチ博物館 (2010.3.24 撮影)

つづく

70. 10分間でわかる朝鮮半島の歴史

69. 余計なお世話が正しいかもしれない現実 のつづきです。

「人生の目的」 だと自分で勝手に決め込んで始めたことは、いろいろな意味で傷つくことも

多いだろうと覚悟して取り組んでいます。それでも陰湿な攻撃を受けると強い気持ちも一瞬

揺らぎ、心がざわめいて相手を恨む気持ちが生まれそうになりますが、必ず踏み止まります。

相手を恨めば、もっと自分の傷が深くなり何も良いことがないからです。簡単に許せるような

ことでなかったとしても、無理やりこじつけの理由を作ってでも許してしまえば、自分の身が

軽くなり明日が見えてきます。私が目障りなら関わらなければ良いだけではないでしょうか?

物事を難しく捉えずシンプルに考えてもらえればと、思います。

自分以外の 「誰か」 が困っていて、自分に何か出来ることがありそうだから手を差し伸べる、

それだけのことです。その対象は人それぞれ違い、人によっては人間にとどまらず、動植物や

地球自体かもしれません。要は自分以外の「 誰か」 や 「何か」 のためになる行動を、みんな

がすることで世界が少しずつでも良くなって行くと信じており、私は何故か縁あって朝鮮半島

のことに関わっているのだと思います。「きれいごとばかり言っている」 つもりはありません。

そのように感じるのは自由ですが、そう感じない人との違いをご自身で考えてみてください。

人間に与えられた五感は、全ての人がそれぞれ違いますから、私の頭がおかしいと思うのも

自由ですが、例えば視覚障害をお持ちの方の聴覚が一般より優れている場合が多いことなど

を完全に否定しているのと同じで、無知や偏見から来る誤解だと思います。

不毛なことに時間と労力を費やしていると、いつの間に周囲から置いてけぼりにされますよ。


いつも応援してくださる皆さまには、突然変な話題を持ち出して申し訳ありませんが、

どうしても避けて通れないことなので意を決して書きました。

もっと強くなって、ご心配をかけないように出来たら一番良いと思っています。


世界遺産 海印寺大蔵経板殿
世界遺産 海印寺大蔵経板殿 (2008.5.28 撮影)


話は全く変わりますが…

何かと物議を醸すことが多い歴史問題ですが、出来る限り簡潔に冷静に「朝鮮半島の歴史」

を中心に日本と中国の流れもわかるようにまとめた記述を探していたところ、うってつけの

サイトに辿り着きました。高校の社会科の先生で大の映画通でいらっしゃる sakuraiさまが、

運営されている 迷宮映画館 (旧ニュー・シネマ・ヘヴン) のお勉強コーナー で、

あまりにまとめ方が上手なので、ぜひここでも紹介したいと思い、お願いしたところ

快諾してくださいました。年表も、それ以外の解説もわかりやすく、10分もあれば朝鮮半島

の歴史の流れがつかめるすぐれモノです。 → 韓国・朝鮮半島の歴史編

幅広いジャンルの映画レビューも映画好きの方には必見で、映画に関わる背景などを詳しく

説明されている お勉強コーナー は、韓国・朝鮮半島の歴史編 以外にも、役立つ項目が

目白押しです。 特に キリスト教ってどんな宗教?アフリカ・ルワンダの歴史編 は、 

疑問に思っていたことが短時間で解決され、とても感謝しております。

sakuraiさま ありがとうございました。

85. 韓国からのエール

開催前は 「高い・怖い・弱い」 と商戦も盛り上がらなかった今回のサッカーワールドカップで

日本代表が予想外の大健闘、海外開催初の決勝進出を果たしました。

私は自信を持って1点も入れられずに3連敗だと思っていたので、予想が大幅に外れて、

こんなに嬉しいことはありません。私の予想では…

カメルーン×日本 3-0  デンマーク×日本 4-0  オランダ×日本 5-0

これでは日本代表に失礼ですね。すみませんでした。

そして今晩、いよいよ初のベスト8を目指してパラグアイと戦うこと自体が夢のようです。

これまでは予選でBグループだった韓国が、先に1勝して、先に決勝進出も決め、それで

日本も奮起して後に続いて来られたような感じだったので
、韓国がウルグアイに惜敗して

とても残念に思いました。でも、李明博大統領は 「ベスト8進出を逃した韓国に代わって

日本はアジアの代表として準々決勝入りを果たしてほしい」
とエールを送ってくれたので

有難く受け止め韓国からのエールも力にして、ぜひ次も力の限り戦ってほしいものです。


~1998年フランス大会のアジア地区最終予選~

熱烈なサッカーファンの我が妹は 「日本代表と共に地の果てまでも」 と、張り切って

アジア各地を駆け巡っていました。 1997年11月1日 ソウルの蚕室五輪スタジアムにて、

既に韓国のワールドカップ出場が決定している状態で行われた 「日本と韓国の試合」では

2-0で日本が勝った試合終了後、彼女は一生涯忘れることが出来ないほどの感動的な

光景を目にしたと言います。(この時点では勝利しても、まだ日本の出場は決定しておらず、

本当の喜びはその16日後、マレーシア ジョホールバルの歓喜 まで待つことになります)

「韓国のサポーターが一斉に日本にエールを贈ってくれて、一緒に行こう! と大合唱…」

その先は、涙涙涙で言葉にならない妹でした。



このように、お互いを称え合って高め合って行ける関係が、スポーツや文化を皮切りに

いずれ政治や経済にも自然と波及することが理想的な両国の姿です。

13年前の韓国からのエールも力にして、頑張れニッポン!!


韓国文化院 1Fにある絵画
韓国文化院 1Fにある絵画

90. 見えない何かに導かれて

昨年3月に就職した現在の会社は、京王線 分倍河原 (ぶばいがわら) 駅から徒歩2分の

場所にあり自宅から勤務先までドア・ツー・ドアで15分という近さです。

そして現在、足繁く通う 韓国文化院には会社からドア・ツー・ドアで45分と、こちらも楽に

辿り着ける距離で、仕事帰り気軽にイベント参加が可能です。

72. 特別な初めての誕生日 돌잔치 (トルチャンチ) でも紹介したように今年、韓国文化院は、

現在の四谷三丁目に移転し1周年の特別な年にあたり、価値有る記念イベントが目白押しで

しかも、私自身が気軽に参加出来る状況にあることを本当に有難く思っています。

このようなチャンスが特定の地域の人だけに限られていることは、申し訳ないような気分に

なりますが、物理的に全国展開するのは不可能なことも理解出来ますので、参加可能な私が

体験して韓国文化の良さを伝える役目を微力でも果たしたいと、気持ちを切り替えました。

昨年初めに求職活動をしていた時、 既に 「日韓 草の根交流」 のことは念頭にあったので、

仕事は大きな責任を負わされることなく、定時に終わり、自分のペースで進められる職場を

探していましたが、韓国文化院の存在はよく知らず、別の方法での交流を考えていました。

今となっては 「場所的にも内容的にもぴったりの職場が見つかったものだ」 と驚きつつ

「見えない何かに導かれた」 不思議さを感じています。

今月もイベントが目白押しで忙しくなりそうですが、これまでに参加したイベントの詳細も

まだ全ては書き終わっておらず、特に 「柳宗悦 朝鮮とその藝術」 については掘り下げて

行きたいテーマのひとつなので、じっくりと向き合っているところです。

もちろん仕事の方も、大きな責任は無いにしても、縁あって雇ってもらったことに感謝して、

自分の役目だけはきちんと果たそうと、それなりに頑張っています。


分倍河原駅前 新田義貞 公之像
分倍河原駅前 新田義貞 公之像


分倍河原駅 は下町的・庶民的な感じがする駅ですが、駅前には 新田義貞 公の像が

忽然と聳え立っており、そのアンバランスぶりが何となく気に入っています。

ここは名高い分倍河原ヨ 道は鎌倉街道すじ あれは新田と北条と 花火を散らした古戦場
(野口雨情 作詞 「府中小唄」より)

91. 芸術と宗教と情と

外国人として初めて韓国政府から文化勲章を叙勲された 柳 宗悦 (やなぎ むねよし) の

没後50年・韓国文化院新庁舎オープン1周年 記念事業 「柳宗悦 朝鮮とその藝術」展

この1ヵ月間、私の頭から常に離れないほど魅力的なものでした。

柳先生は、名家の出身で父は海軍少将、東京大学哲学科に学び、英語圏の宗教哲学に

心酔した知識人です。朝鮮芸術との出会いは25才の 1914年、浅川伯教という朝鮮陶磁器の

専門家から贈られた 「朝鮮白磁壷」 から始まり、以後、慶州、釜山など朝鮮全国を20回余り

歩き回り民衆の生活美術を重視する 「民藝」 という概念を作って活動しました。


「柳宗悦 朝鮮とその藝術」 展の会場には、柳先生が集められた朝鮮時代の民芸品をはじめ

日韓友好の功績を辿ることができる品が多数展示されており、その中で特段、目を引いたのが

「ペンによる戦い」 を紹介したパネルでした。日本が韓国を併合したのは1910年、その後

日本政府は 「文化的同化政策」 によって、光化門 (クァンファムン) を撤去することと、

石窟庵 (ソックラム) の修理復旧反対を主張していました。

朝鮮固有の文化と朝鮮の人々に敬愛の心を寄せていた柳先生は、日本政府の不当な扱いに

胸を痛めて朝鮮の独立運動を支持する一文を発表、1919年5月20日~24日 読売新聞に

掲載され、それによって危険分子と烙印を押され常に監視下に置かれることとなりました。

日本の韓国併合に関する議論は別の機会に譲るとして、ここで特筆したいのは、

信念に基づき危険を覚悟で行動に移された勇気です。


「朝鮮人を想う」

吾々とその隣人との間に永遠の平和を求めようとなれば、吾々の心を愛に浄め同情に暖める

よりほかに道はない。併し日本は不幸にも刃を加え罵りを与えた。之が果たして相互の理解

を生み、協力を果し、統合を全くするであろうか。

否、朝鮮の全民が骨身に感じる所は限りない怨恨である。

反抗である。憎悪である。分離である。

独立が彼等の理想となるのは必然な結果であろう。余は想う。

国と国とを交び人と人とを近づけるのは

科学ではなく芸術である。

政治ではなく宗教である。

智ではなく情である。



政治でなく宗教であるの 「宗教」 とは何か? そして、柳先生の肩書きのひとつ

美学者 の 「美学」 とは何か? 次回はその辺りを考えてみたいと思います。



韓国KBSテレビ 特派員 eye 「平和主義者 柳宗悦の人生の軌跡」


韓国文化院 「柳宗悦 朝鮮とその藝術」 展、KBSテレビ放映の 特派員eye
「平和主義者 柳宗悦の人生の軌跡」、雑誌 「民藝2010年3月号」 を参照しました。

つづく
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