637. 太宰治・津軽三味線・ストーブ列車 そして下北半島

2月22日(日) 龍飛崎から1時間ほどで五所川原の金木に戻り、金木観光物産館マディニーで

太宰治が好きだったというカニ・ほたてが入った釜飯「太宰めし定食」の昼食をとりました。

けの汁 は津軽地方や秋田の郷土料理で根菜・大豆製品を昆布ダシで煮込んだ汁だそうで

栄養豊富な具がたくさん入っており釜飯とよく合って美味しかったです。

太宰めし定食 マディニー
金木観光物産館マディニー 太宰めし定食 ¥1620(団体用)


太宰治記念館 斜陽館・津軽三味線会館・雲祥寺は金木観光物産館マディニーと

隣接しているので昼食後は自由に散策することになり、先ず、斜陽館を見学しました。

(斜陽館と津軽三味線会館の入場料はセットで団体料金 ¥810)

蔵を利用した資料展示室以外は写真撮影が可能とのこと、裕福な家に生まれたことを

実感出来ましたが、幸せだったとは感じられない重苦しい雰囲気が漂っていました。

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2015.2.22 13:03 太宰治記念館「斜陽館」内 太宰治が生まれた部屋

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2015.2.22 13:07 太宰治記念館「斜陽館」内 豪華な仏間

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2015.2.22 13:12 太宰治記念館「斜陽館」2階から見えた庭


続いて雲祥寺の敷地内に入り、本堂の横にある玄関から見学したい旨を伝えて了解を頂きました。

有名な地獄絵は 雲祥寺HP に解説付きで載っていますので興味があればご覧になってください。

私は怖いとは思わず特に感想はありませんが、不気味過ぎると感じる方は多いと思いますし、

子どもの太宰治がこの絵に何かしらの影響を受けたような印象を持ちました。

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2015.2.22 13:32 太宰治が子ども頃通った地獄絵(十王曼荼羅)のある雲祥寺(拝観料・無料)


最後に津軽三味線会館へ行くと、ちょうどホールで津軽三味線の演奏が始まったばかりとのこと、

係の方に了解を頂き中へ入ると、福士三弦会 福士豊勝氏とお弟子さんが「奥入瀬」を演奏中でした。

続いて、お弟子さんの「津軽あいや節」独奏、福士豊勝氏の「津軽よされ節」独奏、そして2人で

「津軽じょんから節」の協奏、最後に民謡も披露してくれました。私は以前から何故か津軽三味線の

音色が大好きだったので、突然プロの生演奏を聞ける機会を得て本当に嬉しかったです!

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2015.2.22 13:35 津軽三味線会館 津軽三味線演奏


14:40出発の津軽鉄道ストープに乗車するため、ツアーバスは徒歩でも行ける距離にある

金木駅へ向かい、到着後は駅の売店で甘酒の振る舞いを受けてからホームに移動しました。

しばらくすると、津軽鉄道21形「走れメロス」号が到着したので順に乗車しボックス席に座ると

アテンダントの大川さんが登場し愛嬌たっぷりの津軽弁で解説が入り、車内販売で購入したスルメも

焼いてくれました。終点 津軽中里駅 までの短い乗車でしたが、素朴で暖かい雰囲気に癒されました。

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2015.2.22 14:27 津軽鉄道金木駅周辺の案内板

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2015.2.22 14:34 津軽鉄道 金木駅 ホームに入るストーブ列車(走れメロス)

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2015.2.22 14:39 津軽鉄道 運行中のストーブ列車内(アテンダント 大川さん)

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2015.2.22 15:00 津軽鉄道 津軽中里駅前


一行は津軽鉄道 津軽中里駅で待ってくれていたツアーバスに乗り込み、津軽半島から下北半島へ

3時間の長い移動が始まりました。途中、浅虫温泉の道の駅 「ゆーさ浅虫」 でトイレ休憩、

むつはまなすラインを走って、むつ市にある斗南(となみ)温泉 むつグランドホテル 到着は

18時過ぎでしたが旅の疲れはなく、大間のマグロをはじめ地元でとれた魚介類中心の夕食を

堪能してから、アルカリ性単純泉の温泉でのんびり寛ぎました。

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2015.2.22 19:29 斗南温泉 むつグランドホテル 大間のマグロ付き夕食

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斗南温泉 むつグランドホテル 美人の湯


津軽半島から下北半島に移動した3時間、この時もバスガイト関口さんの話に引き込まれて

旅のお供「戻ってきたアミ 小さな宇宙人」を読む暇がほとんどありませんでした。

戊辰戦争に敗れた会津藩は明治2年、版籍奉還が行われる中、新政府により再興を許されて

猪苗代湖畔か北奥(私が宿泊した場所)のいずれか三万石を領地として提示されたので北奥を選び、

新しい藩名は「斗南」と命名されたそうです。移り住んだ2800戸約17000人は厳寒のやせた地で

慣れない農業に取り組んだものの飢えと寒さで死者が続出したという何とも心が痛む話でしたが

青森弁が親しみやすく自然と耳を傾けたくなってしまうのです。

東北の人々は宇宙人アミがいうところの「進歩度」が平均より高いようだと感じながら、

幕末~明治維新の歴史の中で以前から気になって仕方なかった奥羽越列藩同盟のこと、

東日本大震災のことが頭の中をぐるぐる回った不思議な3時間でした。
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