39. 心の応急処置

とても順調なのにネガティブな感情が、ちょっとした隙をぬって駆け巡ってしまう…

心の襞(ひだ)に挟まって隠れていたのか… 

一旦駆け巡り始めた厄介な感情は、たちまち怒りに変ってしまう…



そんな時、ますますネガティブな念を引き寄せてしまわないように先ず、楽しかった想い出に

浸って歯止めをかけ、そのあと輝かしい未来を想像してポジティブな状態を維持しています。

すると気持ちも頭も軽くなってウキウキし、何処からともなく良いニュースが舞い込んで来て

もっと良いことの布石になります。


「そんなことを言われても、体調は悪いし、お金は無いし、仕事は多いし、気持ちだけでは

どうにもならない…」 と反論の声があがりそうですが、騙されたと思って試してみてください。

「楽しかった想い出など、何一つ無い」 とおっしゃる方も、思い出せば必ずあるはずです。

本当は過去を振り返るより、未来を見据えた方が良いに決まっていますが、ネガティブな

感情に支配されそうになった時、明るい未来の図などすぐには描けません。

それで、心の応急処置として過去を振り返るのも悪いことではないと思うのです。


私も忘れていた良いことを1つ思い出しました。


中学生3年生だった昭和50年10月16日朝、登校して教室に入ると「優勝おめでとう!」

「良かったね!」 「長かったね~」 と男子女子問わずクラスメート多数から声がかかり、

感極まり喜びをかみしめたことがありました。


昭和50年10月15日 ピッチャー金城、キャッチャー水沼、バッター巨人の柴田、

ライト水谷が、柴田の高くあがった打球をキャッチしてゲームセット! 

苦節26年、広島東洋カープ悲願の初優勝!!



東京生まれ東京育ちの私が、縁もゆかりも無いカープの熱狂的ファンになったのは、

初優勝の年の6年前でした。子どもの頃は時がゆっくり流れていたので6年の歳月は長く

常に弱小球団で最下位定位置のカープを、周囲で誰1人もファンがいない状態で応援を

続けていたので喜びもひとしおでした。当時はサッカーに人気はなく、プロ野球に人気が

集中、子どもが好きなものは 「巨人、大鵬、玉子焼き」、 読売ジャイアンツがV9を達成

した時期だったので、私は東京でカープを応援する珍しい子どもだったと言えるでしょう。

そんな訳で、初優勝の翌日、学校でみんなに祝福してもらえるなんて、期待も想像も

していませんでした。大半はジャイアンツファンだったクラスメートですが、心からの

祝福だと感じとれました。「最初で最後だろうから、とりあえず祝福してあげよう」と

思ったのかもしれませんが、あの時の笑顔が交互に浮かんでは消え、私の気持ちは

際限なく盛り上がり、祝福してくれたクラスメートがみんな健康で幸せな人生を歩んで

いれば良いと心から願いました。しかも…

あの時が最初で最後ではなく、カープは4年後に、江夏の21球 で日本一になりました(笑)

そして、今は亡きノンフィクション作家 山際淳司 の文庫本を取り出して読み返すと、一段と

波長は高まり、心の襞(ひだ)に挟まっていたネガティブな念は跡形もなく消え去りました。


山際淳司 スローカーブをもう一球
「江夏の21球」 を含む山際淳司の短編集


読んでくださっている皆さまも、落ち込んだ時の応急処置を用意されるようお薦めします。
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