242. 尹東柱 (ユン・ドンジュ) が駆け抜けた時代

9月10日(土)韓国文化勉強会 講師 川合光子先生

川合先生は冒頭、東日本大震災から半年を迎える今日まで、どのような思いで過ごして

きたかについて語られ、恐怖と悲しみで押し潰され涙にくれる日々に出逢った「詩」を

非常に繊細でありながら、時に力強い朗読で紹介されました。

書きとめたいと思いつつ美しい韓国語に気をとられて聞き入ってしまい、家に戻って

曖昧な記憶だけを頼りにネット検索しましたが該当の「詩」は見つからず…

でも、コ・ウン氏 の素晴らしいメッセージを見つけて心が潤いました。

그러나 일본은 새삼 아름답다  오늘의 일본은  다시 내일의 일본이다
しかし日本はやはり美しい     今日の日本は   再び明日の日本だ
 



[東日本大地震 ] 日本への礼儀 (韓国詩人 ) - Pray for Japan / Help Japan by ghQkd11


その後、尹東柱 の作品が生まれた時代背景や影響を受けた人物の話題に移りました。

先ず、その時代の日本語はどうだったのか 二葉亭四迷 が1887年~1889年にかけて

発表した小説 「浮雲」 の一節が載った紙片が配られ、先生から指名された受講者の方

が朗読したのですが、とても難しそうで私に指名されなくてほっとしたほどです。


日本語の文語は主に平安時代までに完成したそうですが、次第に話し言葉とかけ離れる

ようになり、明治時代に入ると 坪内逍遥 などの文学者から 「言文一致運動」 が起って

その影響を受けた 二葉亭四迷 が落語口演を参考にして 「浮雲」 を発表したとのこと。

以下の通り当時の文章には句読点が無く、話し言葉の括弧書きは初めだけで終わりが無く、

外来語でなくてもカタカナが混ざり、改行に不自然な箇所があり、まだ言文一致の新文体

が確立されておらず多くの作家が試行錯誤を重ねる段階であったそうです。


第六回 どちらつかずのちくらが沖

 秋の日影もややかたぶいて庭の梧桐ごとうの影法師が背丈を伸ばす三時頃 おまさは独り徒然つくねんと長

手の火鉢にもたかかッて斜に坐りながら 火箸ひばちとつて灰へ書く楽書いたずらがき倭文字やまともじ牛の角文字つのもじ

いろいろに心に物を思えばか 怏々おうおうたる顔の色ややともすれば太息といきいている 折しも表

の格子戸をガラリト開けて案内もせず這入ッて来て へだての障子の彼方あなたからヌット顔を差

出して

「今日は

 ト挨拶をした男を見れば 何処かで見たような顔と思うも道理 文三ぶんぞうの免職になった当

打連うちつれて神田見附の裏より出て来た ソレ中背ちゅうぜいの男と言ッたその男で 今日は退省後

と見えて不断着ふだんぎ秩父縞ちちぶじま袷衣あわせの上へ南部の羽織をはおり チト疲労れた博多の帯に

袂時計たもとどけいの紐を捲付まきつけて手に土耳斯形トルコがたの帽子を携えている



「どちら着(つか)ずのちくらが沖」 の「筑羅(ちくら)」とは「巨済島」の古称で、

舳羅とも書き、物語草子などに登場する日本、朝鮮、中国の潮境にあったとされる海。



一方、朝鮮(韓国)も1446年 世宗大王により非常に合理的な構成の訓民正音(ハングル)

が公布されたものの特権身分の両斑(ヤンバン)階級が漢文を正文だと主張し、ようやく

大衆化されたのは19世紀後半でした。

日本は開国後 「軍艦は繭で出来ている」 と言われるほど養蚕業・製糸業が盛んになり

国力が増すと世界的な帝国主義の時流に乗って植民地計画に乗り出し、当時鎖国状態の

隣国に目を向け、1910年の日韓併合へと突き進んで行きました。

日本と中国(清)の間で結ばれた間島(かんとう、カンド)協約により、中国は間島

(現在の中国吉林省朝鮮族自治区)を獲得、日本は満州鉄道の利権を獲得、尹東柱は

1917年にこの間島の地で生まれました。平壌の中学校を卒業後、ソウルの延禧専門文科

(延世大学) に進学し、1937年 「ウリマルボン」 という画期的なハングル文法研究書を

完成させた 民族主義的学者 崔鉉培 (チェ・ヒョンベ) の授業に深い感銘を受けて

民族の誇りであるハングルに対する思いを強くしたと言われています。

日本統治下の学校教育ではハングルと漢字が混用した朝鮮語が導入され、それによって

識字率は上昇しましたが、朝鮮語の授業以外は日本語が使用され徐々に公の教育から

朝鮮語が排除されていった時代でした。

民族の言語を研究する行為は 「抗日運動」 であると 1942年、ソウルでは崔鉉培を

はじめ多くの韓国語学者が治安維持方違反の嫌疑で逮捕される「朝鮮語学会事件」が

起き、すぐ後には日本の大学に留学中で立教大学から同志社大学に転入して間もない

尹東柱も同様の理由で逮捕されました。崔鉉培は終戦によって自由の身となりますが、

尹東柱は 1945年2月、 27歳の若さで獄死して短い生涯を終え、ハングル文字による

ひたすら美しく切ない「詩」 だけが彼の生きた確かな証として残りました。

そして現在も多くの人々に愛され続けています。



受講の感想

歴史のことは日本人としての言い分もありますが、相手の立場に自分を置き換え

愛してやまない日本語を奪われてしまったらと考えれば答えはすぐ出てきます。

命をかけて守られた ハングル を私も深く愛して命のある限り勉強を続けることが

尊い命を落とした人々への供養にもなると、今回の勉強会を通して強く思いました。

尹東柱 の師である 崔鉉培 の資料はソウル新村にある延世大学校キャンパスの

博物館で見学可能とのこと、機会があればぜひ行ってみたいです。



次回 韓国文化勉強会 のご案内
日 時 : 10月8日(土) 14:30~16:30
場 所 : 韓国文化院
内 容 : 韓紙工芸 (キーホルダー作り) 
講 師 : 韓紙工芸師 コ・ミンジュン氏
連絡先 : kankokubunkabenkyokai@yahoo.co.jp までメールにてお問い合わせください。
韓紙工芸に関しては材料準備の都合上9月末日までに参加表明が必要です。
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