115. 驚愕!83歳の美声 ③

~知らないと言うことは、むしろ幸せなこと~

上記の副題と全く同じ副題を以前にも使ったことがあります。

私が人生の目的を知るきっかけとなった韓国映画 「タイフーン」 に、非常に重要ながら

諸事情でカットされたシーン
があったことを後になって知り、その件を書いた時でした。


没後50年・韓国文化院新庁舎オープン1周年 記念事業 「柳宗悦 朝鮮とその藝術」展

に感銘を受け、柳宗悦先生の関係書籍などを物色しただけでは見えて来なかったことが、

次々と明るみになり複雑な想いを抱きました。偉大な功績の影には例外なく偉大な

協力者がいて、成し遂げられたことに目を向けてみたくなったのも何かの因果でしょう。

全てのことには必ず 「表と裏」 「光と影」 があり、影を演じるのも、その人が自らの

成長のために選び取った役どころではあっても、受け入れて最善の限りを尽くすのは

容易なことではなく、それをされた兼子先生には本当に頭が下がります。

同時に、この現実を私は知らないほうが楽だったかもしれないと一時は思いました。

なぜなら私自身、影を演じる役どころを自ら選びとっておきながら、未熟過ぎて

割り切れない感情が時々見え隠れしてしまうことがあり、柳宗悦先生に対しても

偉大な功績を称えるだけなら簡単なところを、僅かばかりの憎悪をも抱きかねない

感情が沸き上がりそうだったからです。


新婚生活を始めた頃、朝鮮半島にご夫婦で渡り現地の人々と深い親交を結び、朝鮮美術

保存の資金集めにリサイタルを開催して兼子先生の歌声は現地で大評判になりました。

その後も日本民藝館開設、沖縄民芸、アイヌ工芸と関心を広げた夫に、計り知れない

経済的及び物理的な貢献をされ、大学の教壇にも立ち、3人の息子さんを立派に育てあげ、

家事や民藝館の接客をこなしながら、ドイツ留学まで果すという神業のようなご活躍ぶり。

何よりも驚くのは92年間の人生のうち、声楽の分野で87歳まで現役でいらした事実、

世界的にも他には例をみないような気がします。

1961年紫綬褒章受章、1965年日本芸術院賞恩賜賞受賞、1966年皇后還暦記念御前演奏、

1972年日本芸術院会員 と、数々の輝かしい功績を残されたにも関わらず、柳宗悦先生

の関連書籍や日本民藝館関係には、兼子先生の存在が無視されているかのようです。

数々の理不尽な出来事に耐えかねて、一度は死を選ぼうと彷徨した兼子先生を救ったのは

ご自身の芸術に対する強い想いだけではなく、極限状態でご自身の本来の目的に気づかれ

我に返ったからではないでしょうか。 もちろん私自身の柳宗悦先生に対して抱きかけた

ネガティブな感情も消え去っています。

ご夫婦で日本と朝鮮半島の友好に尽力され、明るい道筋を残された功績は不滅です。

「民藝美学」 に対する私なりの感想はまた別の機会に書いてみたいと思いますが、

影に隠れた諸事情を何も知らない時点で 「美学」 と聞いて反射的に連想した

ルパン三世のテーマソング は、「当たらずとも遠からず」 と自己満足しています。


男には 自分の世界がある たとえるなら 空をかける ひとすじの流れ星

孤独な笑みを 夕陽にさらして 背中で泣いてる 男の美学
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